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犯人誰だった?

「やっちゃん、犯人誰だった?」

これは母の私に対しての口癖だ。もう十年以上も母と何かにつけてサスペンスドラマを一緒に見ているが、母にはじっとしているとすぐに寝てしまうという奇妙な悪癖があるため、私に話の結末を訊くはめになる。

他の番組や娯楽ならどうなるかというと、相撲中継だと「あー、見てらんない。あー、こわいこわい。あーあーあー!」と目を両手で覆ってしまい、ボクシングでもこうなる。「どっち勝った? どっち勝った?」と連呼しながら目を覆っている。半ばギャグでやってんじゃないかと思うぐらいだが、冗談抜きで怖がっている。なんでも、母の両親、要するに私の母方の祖父母だが(既に二人とも故人)、この二人はとにかく格闘技が好きで、母が小さい頃に一緒に見ていて人が傷つくのを見るのが怖くなったらしい。

サスペンスドラマなんて人が傷つくシーンばかりじゃないかと思われた方は鋭い。犯行現場で血塗れになって倒れている被害者を見ただけで恐慌に陥る。ナイフでぶすっとやるシーンなんて再現された日には、あーあーあーである。

それでもサスペンスドラマを見続けるのは、お化けを見たがる心理みたいなものという具合に誤魔化そうと思う。これは本題じゃない。

近頃、この「犯人誰だった?」という台詞に思う所がある。母の悪癖のおかげで私はサスペンスの結末なら大概わかるようになってしまったのだが(真剣に見る上に後で解説するから)、考えてみれば、サスペンス、特に出来の良いものというのは、犯人がわかれば話が大体わかるのである。開始十五分間ぐらいの筋立てさえ頭に入っていれば、あーなってこーなってあーそうなったのね、という具合になる。そうなると、話自体の伝わり方も自然になる。

この例に当てはまらないのが、連続殺人を題材にしたものだ。なんせ次々と犯人候補が死んでいくから、その場面場面を見ていないとどうしようもない。私はサスペンスに連続殺人を採用するのは出来を悪くするだけだと思っている。逃亡中の容疑者(犯人確定)が殺していくというような場合には良いものになる場合も多いが、単に事件をややこしくして騒ぎ立てるためだけにやってる場合は面白くもなんともない。事件を掘り下げるのではなく、殺人そのものに焦点を当ててしまっている。

この「犯人誰だった?」という台詞を言わせる気持ちとはどんなものか。何故殺したのか、何故そんなことになったのかを知りたいというものか。違う。純粋に犯人が誰か気になっている。

ゲームだ。犯人を追い詰めること、捕まえることを目的として、その過程の帰納先として事件解決以後の状況を設置している。水戸黄門などの定番シリーズもこの方式だ。最近のトリックシリーズなどもこの傾向が強い。私が思うに、鬼平犯科帳などはこの例に含まれない。それらはまさしくドラマであって、ゲームではない。

ただし、ゲームとサスペンスが決定的に違う点はそれを目の前にいる者に采配が委ねられていないことだ。しかし、この点は役者の個性によって別方向からの興味として解消できる。この役者さんならどう演じるだろうという具合だ。単純にその役者が好きだという人も多い。

サスペンスであるにも関わらず、犯人が誰でも良さそうなものはつまらない。サスペンスの形式を借りて不倫劇をやりたかっただけだったり、旅行案内をしたかっただけだったり……90年代に火曜サスペンス劇場がばら撒いた作品の多くはこれに当てはまる。何故に火サスを例に挙げるかといえば、良くも悪くもパイオニアだったからだ。サスペンスオブサスペンスが火サスだ。

さて、「犯人誰だった」という台詞を引き出すために必要なのは開始十五分間ぐらいの筋立てだと書いたが、これには理由がある。この方法を映像で確立したのは某監督がある映画でやった『結婚式の招待客を紹介する』という方式によったものが最初かつ衝撃的だったと記憶している(もう四十年近く前の作品だ)。これによって『犯人誰だった』への道が大きく拓ける。今では多くのサスペンスがこの方式の類を採用している。これが無ければそもそも「犯人誰だった」の誰が誰だかわからない。当たり前の話のように思われるかもしれないが、これをせずに場当たり的に登場人物を配置するものも未だに多くある。

もし母の悪癖が無ければ、犯人が誰かなんてどうでも良いことのように考えていたかもしれない。そう思いつつ、隣でサスペンスを一緒に見ている母が寝ないように見張る日々である。

追伸。ここ二年ばかりでようやく母が寝る回数が減ったが、未だに四本に一本は寝てしまうようだ。なお、このドキュメントで提示した例はあくまでもサスペンスとして仕立てようとする作品に対して言おうとしているのであって、それ以外のものには全くあてはまらない。


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